2012年12月16日日曜日

水

刺すような寒さが続いる毎日のなか


外に出ると


やわらかいあたたかい空気


そうか曇り空




水ってすごい


空気に溶け込んで


目に見えない



それなのに


私たちを包み込んでいるようだ


あたたかい


刺すような寒さではなく


まるく包み込んでいるようだ



そんな空気




水ってこんなにも


近くに溶け込んで


私たちを見守っているんだね








まぁ、夏はあつくて鬱陶しいと


感じちゃうけどね〜

2012年12月12日水曜日

美味しいごはんがあるってこと

寒くなってきたので、ごはんが進みます。


毎日、ごはんが美味しいって、それだけで幸せ。


幸せ噛みしめてるぜ。



ちょっとした日常に、愛があふれている。




気づくか 気づかないか の違いだけなのにね。




みんな、いろいろ目線広げていこーーーよーーーーー!!!!!

2012年12月9日日曜日

スコーン

自分のお店でスコーン出そうと思ってたら、バイト先でスコーン販売員やっているというご縁がありまくりのスコーン。


まだまだ試作になりますが、しっとりとは作れました〜。


あと、今日はキッシュにも挑戦。

揚げをつかってみました〜。


早くお店オープンしなきゃだ!!

2012年12月6日木曜日

未来へ号SAKATA

未来芸術家 遠藤一郎さんと出会ってから、ちょうど5ヵ月。

レインボージャパン2の旅にちょっと未来へ号に乗せてもらったり、

熊本の凧隊としてお手伝いしたり、

そんなこんなで、すっごく大好きなアーティストとなってしまいました。



たまたま、いろいろ、めぐりあわせで、


なんと、家の自家用車が、


未来へ号へ!!!!


という奇跡がおこりました。すごーい。



てことで、別府で車が変身してきました。


ちょっとずつ、未来へ号になっていく姿が泣ける。


しかも、別府のイベント最後の日、温泉音頭でみんな踊った後、

みんなが夢を描いてくれて、

出発式してくれて、

こんなに人に見送られて車を走らせたのってはじめて!!


かっこよかったって言われた。

もうほんと、感動です。



ありがとうございます。

ありがとうございます。



素晴らしい。



いろいろほんと、ありがとーう。


生きててよかった。











2012年11月21日水曜日

どくんご

 
 
 
 
太陽がいっぱい
 
 
熊本で行われた、どくんごに行ってきました。
 
 
どくんご、うわさには聞いていたのだけれど、いったのははじめて。
 
 
 
 
 
テントで旅する劇団、それだけでなんだかわくわく。
 
 
 
太陽がいっぱい。
 
こちらの感想なんですが、
 
とにかく、
 
生きるってすばらしいんだよって、
 
そう言ってる気がしました。
 
そのメッセージを、全国旅して伝えていってるんだなーと。
 
 
 
合言葉は、「いいんだよ!」
 
 
人生って、いいこと、やなこと、それだけでなく、つまんないこと、わらえること、
 
ちょっとしたこと、もう、ひとことでは言えないいろんなことがあります。
 
でも、何があっても、「いいんだよ」って。
 
 
 
途中で、みんな、「その時○○が○○をしていた。」
 
 
っていうところがあるんですが、それ、って全部違う動詞をつかっていて、
 
その、動詞の分だけ、動きがあって、生き方があって、
 
世界中でみんながいろいろやって生きているんだよーって。
 
 
そのとき、わたしは何もすることがない。
 
それもまた、「いいんだよー。」
 
 
 
私は、そんな風に感じました。この公演。
 
 
感じ方、見方もそれぞれ、いろんなところをいろいろ楽しめる、
 
 
それがどくんご、素晴らしい劇団でした。
 
 
てことで、熊本にまた来てもらえるように、私応援しようと思います。
 
 
 
絶対見たほうがいい、どくんご、最高です!!!
 
 
 
 
 
 
 
 

起源展3

阿蘇高森、フォークスクールで行われていた、起源展3に私も今回参加して作品を展示しました。



作品自体を制作、展示するのが大学生以来でした。

自分が作品作って大丈夫かなって不安に思うくらいです。




今回の作品は、国旗をモチーフにしています。日の丸。


この旗の日の丸の部分、そいつが抜け落ちたものが幾重にも重なっています。


重なったそれは、一見ただの布。


中に何があるのか、底に何があるのかわかりません。


表面に見えるのは、布の重なり。厚み。



ただ、一体中に何があるのか、と、

疑問を持ち、見てみたいという意思を持ち、覗いてみるという行為を行えば、誰にでも底に何があるのか、見ることができます。



自分から、動く!

という、ただそれだけで、いろいろな見えないものが見えるのではないか、私はそう思います。


また、根底、根本にあるものっていうのが何かって、

真ん中が抜け落ちている方が見やすかったりするのかもしれない、

そんな思いを込めてこの作品を作っています。

2012年11月6日火曜日

外海アートプロジェクト

もう、少し前のことになりますが、長崎の外海というところのアートプロジェクトへ行ってきました。

熊本市には、現代美術館がありますが、長崎市は美術館を持ってないとのこと。

それで、アートプロジェクトとして市の文化振興課みたいなのが、美術館的な役割もになっているんだそうです。

最初、市がそんなイベントをやるなんて、いい市だなーと思っていたのですが、そんな理由があったのですね。


さて、この外海アートプロジェクトは、私がこの前作品展示のお手伝いをした栗林隆さんのヤタイと、シネマキャラバンなどなどが来るということで、

熊本から車でかっ飛ばしていくという強行突破な旅となりました。


外海というところは、とても夕陽が有名なところで、遠藤周作さんと由来のある町だそうです。

アートプロジェクトに行く前にちょろっと、遠藤周作記念館へも足を運びました。

あまり、この人のことを知らなかったのですが、宗教と共に生きるってことを、自分と宗教とについて、なんかいろいろ書いてありました。

とにかく、言葉がとってもよかった。

要チェックです。


ヤタイトリップの前に、シネマキャラバンでの映画上映。

幸せの黄色いハンカチ


この映画、いっつも流し見ばかりしていたので、あんまりちゃんと見たことなかったのですが、

高倉健めっちゃかっこいい。

桃井かおり、相変わらずいい味出してる。

武田鉄也、あいったっすって言葉がもう、頭から離れない。



この映画、いい映画だー。黄色いハンカチが、あんなにあんなにあるなんてって、


最後感動でした。


夜の星空の下で見る映画ってほんとよかった。


その他も、いろいろありすぎた、濃い数日を送ったのですが、

また後日、気が向いたら書きます。








2012年10月29日月曜日

混浴温泉世界

別府では、現代アートのイベント、混浴温泉世界が行われています。

別府の古くてそして、あったかい街中に、アートが点在。


別府の温泉は、本当によいです。


温泉に入ると、おばちゃんたちが、こんにちはーとあいさつをしてくれます。

最初は入り方すらわからなかったけど、今では、タオル一枚あればプラッと入れるほど。


なんといっても100円というのがいい。温泉のはしごもできる。

石鹸なんてなくっても、地元のおばちゃんたちが、

あらー、石鹸ないの、つかいなさい、って、言ってくれる。


遠慮せずに、どんどん使いなさい、じゃんじゃん使いなさいって、

もう石鹸をどんどんじゃんじゃん使い方がわかんないぐらい。

でも、あったかい。



そして、出るときにには

「さようなら」

というあいさつ。


今って、失礼します、お先しますが主流のなか、


さようなら、


すっごくあったかいって、やっぱりおもっちゃいます。




そんな、別府の温泉街にたくさんの人が、アーティストがつどっています。


あぁ、熊本にいながらも、別府に行きたくってうずうずしています。






2012年9月19日水曜日

夢のおはなし

中華料理やさんで、ご飯を食べていたんだけど、一緒に来ていた男の人が、カッコつけてダーツを自慢して、竹で出来た串みたいなのを近くにいるお客さんの額の上ギリギリを狙って投げ、当たらなくってすごーいってやりたかったんだろうけど、カッコつけた挙げ句、額にグサッと刺さった。逃げろって声。


これを逃げきらないと、一生を棒にふるのよ、逃げなさいって天から声がして、周りにいたお客さんみんな逃げ出した。ヤクザのお店だったので、そんな騒動を起こしちゃって、もう逃げるしかない。皆、一斉にがむしゃらに走り出した。裏道を駆け抜けて、必死に走った。追われる恐怖ったらない。



走って走って、そしてトランクケースが山積みになっている、雑多な場所に出た。山積みになったものたちを必死に這い上がって、物の隙間に自分の身を隠した。下を見たらかなりの高さである。20メートルぐらいある。そして、遂に追っ手がやって来た。さっきすれ違った車に乗ってた二人が捕まった。



見つかりませんように、と思いながら下ーの方を覗くと、ヤクザの人が「見えてるよ、さかたデュセル」って言った。見つかってたー!!ってのと同時に、私そんな名前だったんだー!!って思った。ああ、最悪である。あの騒動を起こした落とし前として、一生働いても返せない何千万というお金を払うはめに



中華料理屋の厨房で一生働くことに決まった。家に帰ったら、母が姉の話をしている。中華料理の美味しい作り方を習って、かなり上機嫌である。そんな時、私なんて同じ中華料理の話題なのに、一生中華料理を作り続けなければいけないなんて。脳裏には、しかし、美味しそうな八宝菜が湯気をたてている。



そして母に告白するのである。私、一生中華料理屋さんで働かなくっちゃいけなくなった。ヤクザに捕まっちゃったよ。この言葉を出すのが、凄くつらかった。ヤクザめ、私の一生を台無しにしただけじゃなく、家族に心配までかけさせやがって。。。 ってところで目が覚めた。あー夢で良かった〜!



食べてすぐ寝たら牛になるって知ってたけど、夕食後についつい横になっちゃった、私への罰なのか。 私の最近の関心は、私の職と日中間問題なのか、それが複雑に絡み合って夢となって具現化された。ようだ。ヤクザはなんだったんだろう。ヤクザこわい。

2012年9月4日火曜日

かぶりつけろ

竹ノ下亮、河原田隆徳、

この二人のダンス公演、かぶりつけろ。



竹ノ下亮さんは、地元熊本でしかも同じ高校出身ということもあり、いつかきちんとダンスを見てみたいなーと思っていた人物である。


今回一緒に公演する河原田隆徳さん、イスラエル在住とのこと。奥さんがイスラエル人で写真家、そちらも気になるところだった。


たまたま、ある日、ギャラリーに足を運んでみたところ、そのイスラエル人の奥さん、ゾーハの個展の初日というタイミングだった。イスラエルのお酒やお菓子等をいただく。


この、ゾーハ、またさらに魅力的な人物である。


出逢いというものは、不思議なもので、出会ってからの時間というのは、意外に関係ないものだと思った。


ダンスのワークショップに参加させてもらったり、一緒に阿蘇に行ったりと、なかなか濃い数日間を共にすることができた。

熊本でのダンス公演では、最後の幕引きのライト消しなんかをやらせてもらったりした。

公演は二回あったので、後ろの方から、二回ともみることができた。
同じ公演を二回見るというのは、意外に経験したことがなく、これはさらに面白く興味深い体験だった。


音楽は再現芸術だと、よく母が言っている。
昔の作曲家が作った曲を昔の音色通りに再現することは、不可能に近いと。

しかし、だからこそ、演奏者の力量というか表現力が重要になってくる。

そして、一度として、やはり、同じ演奏などないのである。




ダンスの公演もそうだった。

もちろん、構成や流れは同じものなのだか、呼吸ひとつで、がらりと別のものに成りうるのだ。

それはある意味こわくもあり、それと同時に無限の広がりをも感じた。






http://m.youtube.com/#/watch?feature=youtu.be&v=GWchppa9fe8&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DGWchppa9fe8%26feature%3Dyoutu.be&gl=JP

2012年8月17日金曜日

未来龍熊本大空凧

遠藤一郎さんがふたたび熊本にやって来た。

8月4日、熊本市現代美術館のイベントに招かれて、遠藤さんのプロジェクトのひとつ、未来龍大空凧を熊本にやりにきてくださったのです!!わくわく♪


凧の一つひとつに一人ひとりが夢を描く。


それをひとつに繋げるんです。



みんなの夢が繋がった、凧は、本当に龍のように大空に飛び上がっていきました。


夜には、夜凧もあげたんですが、こちらはまたさらに幻想的。


写真じゃ全然伝わらない。生でみる、経験する、体験する価値あり!!




次の凧あげ、@熊本は、10月20日!!

今から楽しみ~!

2012年7月25日水曜日

yatai

栗林隆さんというアーティストとの出会いは、2010年の森美術館でのネイチャーセンス展。

出会いと言っても、アーティストと一鑑賞者という立場だが。


その頃の私は、アーティストの話を聞いてみるのも面白いかも!っていう時期で、このネイチャーセンス展のアーティストの4時間にもわたるトークイベントに申し込んでみたりしていた。


とはいっても、アートは好きだけども、アートオタクとはほど遠いほど、あんまり詳しくない私は、実は吉岡徳仁さんしか知らず、吉岡さんの話聞きたい!みたいなノリで行った。


熊本から行ったんだから、ちょっとはアート熱はあるかも?ぐらいで。



話は、なかなか面白く、中でも最後に出てきた栗林隆さんの話、というより栗林隆さん自身に、かなり魅了され、一瞬で好きなアーティストになった。


翌年の夏休みを使って、青森の十和田市現代美術館に作品を見に行ったり、長崎で行われたYATAIのイベントにも、謎の絶対行きます!っていうファンメールを送ったりしたぐらいだ。(これは実際行けなかったのですが…)


で、なんと素敵なことに、今年2012年熊本市現代美術館で栗林さんが展示をするということに!!

わーお!!!!!!!!


美術館の人にも、私、栗林さん超好きです!!絶対ボランティアスタッフとかあったら教えてください!っと言いまくっていた。
栗林さんは声がダンディ!!(そこ!?)



つ、ついに奇跡が起きた!
展覧会の前に打ち合わせとかいろいろで、熊本に栗林さん来るとのこと!

そして、ゲリラ的に行われるヤタイの出没情報(どこに出るかわかんないが、今夜ヤタイ出るって、ぐらいの超アバウトなものだったが)を、流してもらった。

そして一度は諦めかけたが、なんと、夜中、ほんと深夜に、ヤタイと出会うことができた。



ヤタイでは、栗林さんから、何故ヤタイをやっているのかとか、アーティストとはとか、他にもいろいろ面白い話が聞けまして、朝方まで貴重な時間を過ごすことができました。


ヤタイトリップ、熊本市現代美術館の9月からの展示と共に、皆さんご注目ください!

2012年7月20日金曜日

卒業文集の出来事

2月に卒業文集を作るぞーっつなって、そう言えば中学校の時に作った卒業文集がすんごい可愛くて素敵だったなって思い出して、押し入れを探したら見つかった。当時の担任の先生もまだ若かったのに本当にいい先生でよくやってたなぁと、今更思ったりしてたわけです。自分が先生という立場にたってみて。

それがこれである。イラストも超可愛い。この子は今も素晴らしく可愛いイラストを描いていて、感動的。

で、この文集が何故か家に2冊あったのである。おそらく、一冊貰ったのを普通に持って帰ったのに机の上に置いてあるのを自分のと思ってまた貰っちゃったのかなーと思う。いや、多分そう。でも、気づいたのは大分後だと思うけども、もうそんなこと忘れていた。もう13年も前のこと。

つい先日中学校の友だちに13年ぶりに、会う機会があった。「そうそうそう言えば、この前卒業文集を久しぶりに開けて読んでみたら凄く面白かったー凄くいい文集」と、最近開いた卒業文集の感動を伝えると、その子から衝撃的事実が打ち明けられた。「何故か一冊だけ足りなくって、私だけ貰ってないの」

「作ったの私たちだから、ちゃんと数かぞえたんだけど、何故か一冊だけ足りなくって、私だけあれ貰ってないんだよー」と。(え、私の家に2冊あったってことはつまりは私が犯人ってこと?)すぐに、打ち明けられない自分。動揺。でもでも、いやこれは、貰ってないなんてそれこそショック。




さっき、もう一度家を探したら、きちんと2冊ありました。わーん、13年間も待たせてごめーん。いやでも、13年ごしにこのタイミングで出会えて、この話題が出たのも奇跡って思うのは私だけかしら。自分犯人のくせに、超ポジティブ思考でごめんなさい。てことで、郵送する手はずを整えているところ。

2012年7月12日木曜日

なんとかber

高円寺で、素人の乱ってのをやってる松本哉さんと熊本で出逢った。

なんとかberっていう、日替わり店主の店があるから、やりに来たらいいよーっていうお誘いをうけて、行ってきました!

素人の乱 http://www.shirouto.org/

なんとかber http://trio4.nobody.jp/keita/shop/16_nantoka.html


7月7日、9日、10日の3日間。

メニューとかも、あんまり考えてなかったので、普段作りなれているものや、自分の好物をだすことに。

熊本から来たってので、熊本っぽいものもそろえることにした。


お酒は、熊本でしか買えないやつ等を大量に購入。これ、運べるのか?

送るにしても、送り先がないので、手荷物で持っていくことに。

飛行機で、手荷物で預けようとしたら、30キロ。預ける荷物は、20キロ以上は追加料金2000円ですって。高い!

じゃぁ、機内持ち込みでいいですかって聞いたらぎりぎりオッケーとのこと。

お酒の入った20キロの荷物を機内へ。

検閲所で、焼酎は、一人持ち込み5リットルまでですって。何それ、知らなかった。

でも、まぁ5リットルはなかった。梅酒とかリキュールは含まれないらしい。度数によるのだそうだ。

でも、調べさせてもらいますって、荷物をほどかれた。ぎちぎちに詰め込んでいたので、

それをばらされるのが大変だった。パンツとか入ってなくって良かった。




berをやるって初めてで、料理を友だちに振舞うことはあっても、こう、大勢の人に、一気に対応するってのは、初めての経験。

一人なのにお客さん、20人から30人ぐらい入った。というのも、私の友だちが駆けつけてくれたのだ。

全然回っていない。

でも、周りのみんなが、手伝ってくれた。なんてあったかいのだろう。



ある人が言った、「いい仲間がいるね。」

本当にそうだ。

今回のberは、それが一番実感できた気がする。



2日目、3日目は、少し手際が良くなった。

3日間来てくれたお客さんもいた。


人が集まる場所、人とつながる場所。なんて素敵なんだろう。

私は、こんな場所がつくりたいんだ。







なんとかber 写真




2012年6月27日水曜日

未来へ号

遠藤一郎さんと出逢った。

未来へ号に夢を乗せて走っている人。

今は、レインボージャパンという、GPSを使って、車で走った軌跡でメッセージをかくというプロジェクトをやっている。キャンバスは日本全土。


アーティストの作品の作り方はいろいろ。



アーティストの役目は、目に見えないものを、見える形に表現すること。


遠藤さんの、アートの在り方。


分かりやすく、シンプル。

2012年6月19日火曜日

アリについて

私は美術館を建てると言っています。で、美術館のコンセプトというものがあります。因みに、美術館の名前はこちら「アリ美術館」

この美術館は、在り方を問う美術館。普通の美術館よりちょっと小さい美術館。でもでも、なんでもアリな美術館。美術館は、この●まるが目印。つまり、このマークがあれば、どこでもアリ美術館に早変わり。

アリ美術館は、今までの既成概念とか、常識とか、当たり前とか、そういった事たちを、もう一度「本当にそうなの?」と問う場。そして、自分の立ち居地を、じっくりと「気づき、考え、わかる」までのプロセスを通過する場。そんな場を目指しています。

これが、大体のコンセプト&説明なんですが、これを見せたある人に、「何でもアリというのは良くない。」という指摘を受けました。「ナイという視点も無くてはいけないし、何でもアリではなく一定のラインをもうけないと」という指摘...。なるほど、勉強になる。その言葉すごく有難い。

アリ美術館のアリは、結局のところ自分の中では、「在り方を問う」というテーマから来ている言葉なので、何でもありでは無いのである。しかし、言葉遊びが好きだし、言葉を拡げる楽しみというものもすごくあるので、ついつい何でもアリと書いてしまっている。

しかし、その何でもアリという表記にも、自分なりの理由がある。それは、「美術」や「アート」という言葉から、「絵画」「絵」という言葉しか連想できない人たちがいることを多分に知っているからである。

これは、嘆きや卑下して言っているのではなく、自分も過去にそうだったという経験も大いに関係している。そして、更に地方というフィールドから抜け出し関東、都会、文化の集中している都市に数年暮らすことにより、地方と都市部との文化面での格差を感じたことも関係している。

更に、もっと言えば、前職で養護学校という特殊な場での環境を知ったことも大きい。絶対的に出逢っている人間の相対数が少なく、悪い意味で言うわけではないのだが、世界が狭い環境で生きている人たちがいること。しかし、感性や興味関心、意識はなんら変わりがないことも知っている。

そんな中で、「美術=絵画」とは限らないということを知ってほしい、そいう視点で「何でもアリ」と表記しているんだ、と。知らないことはもったいない。もっと、いろんな視点を知ってほしい。そう私は思う。しかし、知ろうとしないのは、知らないということに気づいていないことが原因だと感じている。

だからこそ、「在り方を問う=知らない世界に触れる=価値観の拡張」ということで、自分自身、沢山の人に出会い、考えに触れ、自分の立ち居地を日々確認している。アリということを、もっと深く掘り下げたいと感じたし、今ココの自分を確認できたという面でも、人の言葉は有難いと感じた。そんな出来事
でした。

やっぱ、何でもアリって、やっぱそういう風に捕らえられちゃうのかなー?うーむ。。
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2012年6月8日金曜日

古ペンキ剥ぎ…辛いので、反対側のペンキ塗りに入った。

やってみないと分かんないというのをいいことに、完成図がクリアーになってない、見切り発車な私。

とりあえず作業は、一人だとやっぱり心細くもある。

2012年5月30日水曜日

お金なんかについて

昨日は、何も知らずに友人に連れられて、全共済の勉強会なるものに参加した。プライム倶楽部っていうらしい。なんでも、お金を誰でも稼げちゃうっていう、うまく出来たしくみについての話だった。参加している人たちは、熱狂的信者みたいだった。儲け儲けの世界。

まぁー、そこにいる人達は、私とは価値観が真逆だった。でも、価値観が真逆って人たちと話をするのは楽しい。私は、嫌いな人にほど、話しかけようと努力しているくらいだ。だって、自分の立ち居地をより明確に把握できる絶好の機会だから。だから、昨日はとても楽しかった。

お金があったら、その分、時間にも心にも余裕ができるので、やりたいことができるし、人間の器もでかい人になるって、そんなことを力説されちゃった。やりたいことって、何だよ。ってきいたら、今はお金がないから、できないことだって。それ逆でしょうよ。やりたいことがあるからお金が必要っていう。

お金がないと、確かにできないこともあるかもしれないけど、お金なくってもできることいっぱいあるのに、そっちには目が全く向かないのね。やりたいことは、家族で旅行だって。そんなの今すぐでもやれんじゃんよ。

で、ちょっと、便利さと共に衰退していく人間力について語ってしまった。んーと、例えば、ピーラーってあるでしょ。ジャガイモの皮むきとか便利な。便利なものがあると、きっと包丁でジャガイモの皮を上手く向けなくても済んじゃうのね。だから、その能力が人間から失われてしまう。

そんなことを言ったら、昔の人間は、自分ですべてやってたわけだから、超すごいんだけど、今みたいに快適に過ごせはしないかも。でも、そのバランスは大事だと思うし、何が出来て何が出来なくてもいいかっていうのを、自分でしっかりと把握して、選択した上でのものであってほしいと私は思っちゃう。

豊かさを求めて、がむしゃらに発展してきたんだと思う今日。豊かになるためには、お金が必要だって思って進んできたんでしょう。しかし、今は、お金のためにってなりすぎてないか。いつのまにか、目的と手段が逆転している。ちゃんと、何をしたいのかってのを明確にした方がいい。これは自分にもいえる。

お金持ってるから、何でも買えるし、旅行にだっていけちゃう人と、何でも買えないけど、自分で工夫して作っちゃう人と、どっちになりたいかっていうと絶対後者なんだよね、私。

だから、肩書きとかが嫌で仕事やめたってのもある。肩書きは便利。その人のことをその肩書きで勝手に理解してもらえるから。その肩書きをとっちゃったら、何者でもないなんて人になりたくない。私は、だれでもない私になりたいんだ。それさえあれば、肩書きはあってもなくても同じ。

そんなことは、私の大好きな本、星の王子さまにかいてある。大人ってやつは、ほんとに本質を見ないって。

〔星の王子さまより〕おとなの人たちは、数字が好きです。新しい友だちの話をすると、彼らは肝心なことを絶対に訊きません。こんなふうには絶対に言いません。「その人はでどんな声。好きな遊びは何。蝶々のコレクションをしているの?」そうではなく、きまってこう訊くのです。「その人は何歳なの。兄弟は何人いるの。体重は何キロ。お父さんの収入はいくら。」そうして初めて、どんな人かわかったと思うのです。

お金についても、お金の使い方についても、本質をみなきゃいけないなーと思った。
お金にかぎらずか。







2012年5月28日月曜日

無駄なことに意味がある

私は、仕事を辞めた。

みんな、辞める意味がわかんないみたいなことを言うのだが、

私は、フリーに動ける今がとても楽しくってたまらない。


第一、仕事を毎年やらなきゃいけないって常識がおかしいと思っている。
まぁ、私の職種の場合、今年やらなくて来年またやるとかが、可能な特殊な職場ってのもあるが。
しかし、実際それをやると世間の風当たりは厳しい。
実際問題、私が思っていること、考えていることを、正直に話すということ事体社会では許されないという風潮がある。そう感じていた。嘘はいえない性質なので、仲のいい人意外には、自分の考えは極力言わないことにしていた。仲が良いから理解があるとは限らないので、中には意見が対立することも。

仕事に関しての、職業意識というものは、家庭で培われているのだろうか。
働くのは当たり前。
それが常識だ。
もちろん、働かないとか働きたくないとかそういう話ではない。

仕事よりも、大切な自分のやりたいことがあるなら、天秤にかけるだろうという話。

大体、仕事は今の生活をするのに十分なお金を得れば、問題なくないか?
二年分生きていけるお金が貯まったら、一年遊んでもよくないか?
そんな、考えおかしいのだろうか。

みんな、お金を貯めて、何に使っているのかは、わからないが。
将来のために不安だから、とかでお金を貯めている場合。それは、本末転倒だと思う。

将来のために、今を犠牲にするっておかしいでしょう。
それって永遠に将来ってこないんじゃない?



まぁ、そんな考えで、私は今仕事をやってないわけですが、
仕事に追われているときって、自分の時間や、暇になって、なんか暇だしこんなことやってみよっかなーっていう時間がないんです。

ほんとに、伸びきった脳がゆるゆるのときにしかやらないような、無駄なこと。


社会では、たぶん、無駄なことって排除される。効率を求めているから。
でも、効率を求wめて無駄のない動きをしたら、新しいものって生まれないんだよね。
私はそう思う。
だって無駄がないんだから。
失敗とかもそう。失敗したから、わかることって沢山あるだろうし、失敗せずにすんだときよりはるかにすごい経験をすることができる。
それを、世間では無駄だったととるなら、ちゃんちゃらおかしいぜ。
私はそう思う。

一見無駄なところほど、素晴らしいなにかが潜んでる。


余裕がないと、クリエイティブなものは生まれないでしょ。

だから、仕事を辞めたってすんごい意味があることなんだけどなぁ。

無駄に時間を使えるので、今までできなかったことができそうで、わくわくしています。


無駄を無駄と捉えないほしい。


無駄なことに意味がある。

2012年5月9日水曜日

ジャコメッティと飛行機

飛行機でいつも移動するんだけど、最初飛行機乗るときって、窓側をとっていたのね。でもあるときから、なんか便利だから通路側でもいいかーしょっちゅう乗ってるし、今更窓側窓側って歳でもないよねーって。でも、違ったの。飛行機ってとっても非日常なのよ。これはもう自然界を空から堪能するしかない。

そうして、また飛行機乗るときは窓側をつとるようになったの。離陸してから、シュイーンって空を飛ぶでしょ?すると、今まで見ていた世界がありえないぐらいちびっちゃくなっちゃうの。最近はやっている、ジオラマ風写真みたいに。肉眼でそれが見えちゃう。でもそれ、実際に自分の目に普通に映っている。

当たり前のようだけどね、本当に不思議なんだよ。車がありんこのようだし、うじゃうじゃいるし。日本は山がほとんどで、人間が住んでるところなんてほんの一握りってのも、実際見てみて山ばっかじゃんって思うからそんなんでしょう。実感することができる。

ジャコメッティの話で、すげーって印象にのこっていることがある。ジャコメッティってあの、針金人間みたいな彫刻作品つくっている人ね。そのジャコメッティ。存在を見つめて、いつもそれが本当にそこにあるべきなのかって問うような生活をしていたらしいの。だから、帰ってきて脱いだコートの置き場所

その、脱いだコートの置き場所を、一回置いては、いやここじゃないここじゃないっと、やり直す。きりがない作業を繰り返す。そんな風に色々なあり方を常に問うていたんだろうと思う。

そんなジャコメッティが、感覚を研ぎ澄ましすぎて、あるとき感覚に異変が起きた。そう、自分の見えているものを、脳で処理することなく、感じたままに受け入れることが出来るようになったの。それは衝撃てきな変化だったろうと思う。常識ってのを無意識に計算して日常を見ている私達。

テレビを、見ているときに、実際には人間の大きさなんだけど、普通にテレビに映っている人は、そのテレビの大きさになっているわけじゃん。それって、脳で実際の大きさに処理されているわけ。誰も今は、ちっちゃいおじさんんがテレビに入っているとは思わない。

でもでも、テレビを始めてみた人が、「どうなってんだーここに人が入っているのか?」と全く信じられない事体に驚くってのよくやってるよね、昔のドラマとかで。あれは、実際に感じたままの感覚で処理しているから、見えたまま、その大きさの人間に見えるわけで、本当は自然のこと。

で、人間の脳はすばらしいから、一回理解しちゃうと、実際の大きさに頭で処理してテレビの中の人間を見ちゃうから、もうなんら不思議じゃなくなるんだ。そこって、それが当たり前だから気にしたことなかったんだけどさ、ジャコメッティはこの反対の出来事をしたんだって。

今まで普通に見ていたテレビの中の人間は、あるとき、見えるままにしか見えなくなった。つまり、ちっちゃい人間に、そのあるがままの姿にしかみえなくなったんだって。そんなことってあるの?だから、例えば遠くに見えてる人間も、ちっちゃいあのままの存在の人間がそこにいるってこと。

だから、棒人間みたいな人間の像も、ちっちゃい人間の像も、ジャコメッティにとっては、見えるものをただ、そのものを見て、そのものをかたちどった。すごいことなんだけど、その感覚には、普通はなれないなーって思う。でも、その感覚面白いし、どういうことなんだろうって考えちゃうんです。

それで、飛行機に乗ったときに下をみると、そこに家の大きさ、車の大きさ、ってのは頭ではちゃんと分かってるから、すごく遠く高く飛んでるんだなあという、距離感を理解することができるんだけど、その目の前にあるものが、おもちゃの家やおもちゃの車にしか見えないの!

そんな時、ああジャコメッティの言ってたこと、感じていた感覚ってこのことなのかなーと思ったりする。違うかもだけど。でも、ほんと豆粒みたいなおもちゃみたいな、町や道や車たちが、ほんと面白いんだ。見て楽しむことってそれだけで楽しい。心と感覚で見るって大事。

で、昨日は雲の波が、膜のように下一面にあって、その雲がひらひらと飛んでいる羽衣のようだった。着陸に向かって飛行機が高度を落とすと、その雲の波は私の上に流れていて、本当に海の中にもぐったときのような感覚に陥ったんだ。海も空も一緒なんだなー。地球はつながってんだなー。っていう不思議。

素晴らしかった。空の上。超非日常の空間。飛行機乗るときは、是非窓側をお勧めします。


2012年4月30日月曜日

ひっくりかえる

ワタリウム美術館で、ひっくりかえる展をみてきた。 アートは、世界をかえる。 アートは、世界の見方をかえる。 JRという作家の言葉は、全てがすぅーと入ってきて、 うんうん、そうそう、と共感の連続だった。 とてもいい展示だったのと、刺激をたくさんもらった。 http://www.ted.com/talks/lang/ja/jr_s_ted_prize_wish_use_art_to_turn_the_world_inside_out.html

2012年4月23日月曜日

尾崎豊肉筆ノート

本屋に行くと、尾崎豊の肉筆ノートと書かれた文字が目に飛び込んできた。

小説新潮。


手にとって見ると、後半のページに、鉛筆で丁寧に書かれた歌詞が。

たまに、書きなぐられていたり、絵を描いたものなども見られた。

すべてが鉛筆で、大学ノートで。臨場感が沸いてくる。

しかし、見ている方はいいが、尾崎自身のことを考えると居た堪れない。


作品を作るアーティストにとって、内面や日々のことを綴ったノートというものは、

あまり見られたいものではない。


自分だけのノートであり、自分と向き合う場であり、人に見せられない自分なのである。


だから勿論、他人には興味があり、一見すれば、その人が見える情報の宝庫なのであるのである。



ただ、本人の意思を聞くことができない、今、雑誌で公開されているのを見ると、

実際手にとって見てしまったものの、本人には少し同情してしまうのであった。

2012年4月17日火曜日

ポルコパン

てくてくと、てくてくと、

かなり歩いた。

そんな道の途中で、なにやら素敵なパン屋さんを見つけました。


ポルコパン

http://www.porco-pan.com/


店内は、可愛いレトロな感じで統一されていて、心も落ちついてくつろげます。


コーヒーの試飲をいただきました。パンも店内で食べることができ、コーヒーって頼めますか?と尋ねたところ、「コーヒーは販売してないんですが、今から試飲用に作りますので、それをどうぞ」とあったかいコーヒーをいれてくれました。豆からミルで挽いてくれて、本当に美味しかったです。


ポルコとは、イタリア語でブタのことだそうです。

十二支からきているそうです。

ポルコが開業した年、そしてお子さんが産まれた年が亥年だそうです。

お店の方もとってもいい方で、クロワッサンないんですか?って聞いたら、店頭にはなかったんですが、じゃあこれあげますと言って、ミニクロワッサンとパン数個をくれました。

お店の可愛い雰囲気は、店主の人柄が滲み出ているんですね。


家に帰って、自家製苺ジャムをたっぷりつけて食べました♪


美味い!

淺井裕介さん

淺井裕介さんの作品。

淺井さんは、その土地で取れた土を使って絵を描いていきます。


黙々と。
ひたすらに。


マスキングテープに絵を描いたりもします。


この前淺井さんは、岡山にあるマスキングテープの工場見学に行かれたそうです。


淺井さんは、そこに在るもので作品を作るスタイル。だから、土とかマジックとマスキングテープとか身近に在るものを使う。


でも、この工場で凄い種類のマスキングテープ、幅もお好みで切ってくれるということで、淺井さんは好きなの貰っていいよーと言われて困っちゃったらしいです。


豊富に、自由に在りすぎると、かえって見失うものって、結構あるのかもしれませんね。

2012年4月13日金曜日

いちごジャム

いちごジャムを作りました


コトコトではなく

グツグツと


でもじっくりではなく

さっくりと


この前の失敗を経て

赤くて甘くて美味しいものに仕上がりました

春の恵み


苺って


くさかんむりに お母さんだね

お母さんに食べてもらおう

2012年4月12日木曜日

たべもの

たべものは 普通買います

今日は 朝早起きして

わらびと筍を採りにいってきた


大地から 自然から 地球から 太陽から

いただいた

買わないでも たべものを いただけるという不思議

でも筍は全然見つからなくって

すごく疲れて

その代わりに 美味しい筍が食べれた

農家とか漁師とか

たべものと直に関わっている人って

本当にすごいと思った

仕事をやめて、今私は仕事をしていない

仕事をしていないということは、給料がない

お金を稼げないということはたべものを買えない

でも 今日はたべものとれたよ

仕事ってなんだろう

なんだろうね仕事って

2012年4月11日水曜日

ariartとは

ariart とは、在り方を問う こと


在り方を問う アートのこと

在り方を問う 生き方のこと



問うということは 気づくということ

問うということは 考えるということ

問うということは わかるということ



ariart  わたしの生き方