本屋に行くと、尾崎豊の肉筆ノートと書かれた文字が目に飛び込んできた。
小説新潮。
手にとって見ると、後半のページに、鉛筆で丁寧に書かれた歌詞が。
たまに、書きなぐられていたり、絵を描いたものなども見られた。
すべてが鉛筆で、大学ノートで。臨場感が沸いてくる。
しかし、見ている方はいいが、尾崎自身のことを考えると居た堪れない。
作品を作るアーティストにとって、内面や日々のことを綴ったノートというものは、
あまり見られたいものではない。
自分だけのノートであり、自分と向き合う場であり、人に見せられない自分なのである。
だから勿論、他人には興味があり、一見すれば、その人が見える情報の宝庫なのであるのである。
ただ、本人の意思を聞くことができない、今、雑誌で公開されているのを見ると、
実際手にとって見てしまったものの、本人には少し同情してしまうのであった。
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